田辺に梅をもたらした安藤直次公の藤巖神社
藤巖神社は、現在の田辺の原形を作った田辺藩初代藩主「安藤直次(藤巖公)」の功績に感謝し、明治19年(1886)有志により、鬪雞神社境内に建立されました。
闘鶏神社は紀伊田辺駅から歩いて5分くらい、田辺市の中心地にあります。
田辺の梅栽培の始まりは、この安藤直次公が年貢に苦しむ農民を救うため、山の斜面などで梅を育てることを推奨したのがきっかけと言われています。安藤直次公は大阪夏の陣でも活躍したのですが、夏の陣以降、紀州田辺城に移され3万8800石の所領を与えられました。有能でありながら義に厚い風情の直次に徳川頼宣は全幅の信頼を寄せ、「自分が大名としていることができるのは、直次がいてくれたからだ」とまで述べたそうです。
直次の嫡子重能が討死しますが、遺体を回収するにも軍列の乱れが出るので「遺体なぞ犬にでも食わせておけ!」と軍を乱すことを許さなかった逸話があります。
田辺に残る史跡をたどり、付家老安藤家の歴史は欠かせません。直次公の梅栽培は見事に当たり、田辺の梅は江戸でも有名になり、今では開花の時期になると、一目30万本と称されるほどに白い花が咲き乱れ、地域全体を梅の香が包んでいます。その直次公を奉るのが藤巖神社です。